清水寺観光完全ガイド!歴史やパワースポット〜参拝ルートまで
京都の有数な観光スポットの中でも特に人気があり、ユネスコ世界遺産や国宝、そして重要文化財にも指定されている名所である「清水寺」。非常に人気があるため混雑は必至ですが、より楽しんでいただけるようにご当地からの発信ならではの情報を集めてみました。
この記事では以下の内容について書いています。
京都のパワースポット!清水寺のご利益は?
「全ての人を救う」という観音様と音羽(おとわ)山中から湧き出る霊泉「音羽の滝」によって無病息災、子授け、立身出世、財福、良縁成就のご利益があると言われています。
清水寺境内には音羽の滝をはじめ、ぬれて観音、ふれあい観音、首振り地蔵さんなど様々な見どころ、パワースポットがあり、小学校・中学校の修学旅行生やアジア・ヨーロッパなど国を問わず人気で年間500万人が観光やご利益を授かりに訪れています。
みなさんもパワースポットを巡り、ご利益を授かりましょう!
清水寺の歴史、いつ?誰が建てたの?
清水寺創建は1240年前の西暦778年
清水寺は京都府京都市東山区清水(きよみず)音羽山(おとわやま)の中ほど位置する寺で、歴史の始まりは平安京の少し前778年(宝亀9年)にまで遡るとされています。清水寺の創建については、平安時代の貴族で文人の藤原明衡(ふじわらのあきひら)の『清水寺縁起』、『清水寺縁起絵巻』1520年(永正17年)制作(東京国立博物館所蔵)、『今昔物語集』、『扶桑略記』798年(延暦17年)などたくさんの文献に清水寺草創伝承が掲載されています。 これらの資料によれば、清水寺の創建は要約すると次のように記されています。
778年-僧侶「賢心」が千手観音を彫る
奈良県(大和国)の小島寺にて修行をしていた僧侶「賢心(けんしん)」が、夢の中で「北へ清泉を求めに行きなさい」と老翁にお告げを受け清泉を探した結果、現在の清水寺のある音羽山「音羽の滝」に至りました。 金色の水流を見つけた賢心が、源流をたどると、そこには山にこもり滝行を行う、”行叡居士”(ぎょうえいこじ)という修行者と出会います。年齢200歳になるという行叡居士は賢心が来ることを長年に渡り待っていたらしく、「この霊木に千手観音を彫ってこの地を守護するのです」と賢心に霊木を託し、東国へと旅立ちました。 賢心は行叡居士を「観音様の化身に違いない」と悟り、言われた通りに託された霊木に千手観音を掘り、行叡居士の住処であった旧庵に安置、この地を守り続けたのです。これが清水寺が建設されるきっかけとなります。
780年-僧侶賢心と坂上田村麻呂の出会い
音羽山で賢心が行叡居士に出会った2年後の780年(宝亀11年)、平安時代初期の名武将で後の797年(延歴16年)に征夷大将軍に任じられた人物、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が妻・高子の病気を治すべく、薬の原料となる鹿の血を求め音羽山を訪れていたところ、音羽の滝で賢心に出会います。 鹿狩りに来ていた坂上田村麻呂が、賢心に殺生の罪を説かれたことから、観音様に信仰心を持ちはじめました。
798年-清水寺建設が始まる
賢心と坂上田村麻呂との出会いから18年の時を経て798年(延歴17年)坂上田村麻呂は、賢心と協力し、本尊の十一面千手観音像を崇める為のお堂を音羽の滝あたりに建てたことが清水寺建設の始まりとなります。 805年(延暦24年)には太政官符の公文書によって坂上田村麻呂が寺地を与えられ、810年(弘仁元年)には嵯峨天皇の勅許を受けた公認の寺院となり、「北観音寺」の寺号を賜ったとされます。 『枕草子』は「さわがしきもの」の例として、観音の有縁の日を挙げ、『源氏物語』夕顔の巻、『今昔物語集』にも観音への言及があることからも、平安時代中期には観音霊場として著名であったことがわかります。
現在の建物は徳川家康により再建された
豊臣秀吉は清水寺に130石の寺領を正式に安堵(権力者から土地所有権を認められること)、徳川幕府になっても、引き続きこの寺領が継承されました。 現在の建物の大半は1624~1644年(寛永年間)、徳川家康により再建され、その多くは国宝や重要文化財に指定されています。日本全国各地には 現在も「きよみずでら」「せいすいじ」を名称とする寺も多く、中には坂上田村麻呂の開創を伝えるものも存在します。 東北岩手の花巻市にある音羽山清水寺は坂上田村麻呂の開創を伝え、長野県山形村の慈眼山清水寺は坂上田村麻呂の中興を伝え、この長野県慈眼山清水寺の千手観音像こそが京都にもたらされ東山の清水寺になったともされています。
清水の舞台って何をするところ?
世界遺産に登録されている清水寺は「清水の舞台」があまりにも有名で「京都と言えば」真っ先に思いつく場所の一つです。 清水の舞台から見わたせる四季の光景や京都の街並みはまさに世界遺産の名に恥じない美しさがありその景色は必見です。 舞台は本堂から突き出た形になっており先端部の高さは地上から約12メートル。4階建てのビルに相当する高さになります。 巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」(かけづくり)という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築の舞台(檜舞台)です。 もともとこの舞台は、平安時代より御本尊である観音様に雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲などの芸能が奉納される場所で、現在も重要な行事や法会には、この舞台での奉納が行われています。 清水の舞台そのものが本堂という位置づけにもされており舞台と本堂が連なっています。
「清水の舞台から飛び降りる」って一体どんな意味で使われているの?
思い切って大きな決断をするときなどに使われることわざですが、元来は願掛けの意味を持つ言葉であり次のような諸説があります。
1.「極楽浄土へ逝ける」説
言葉の語源は、江戸時代に流行ったことわざのような言葉遊びともいわれ、清水寺の舞台から飛び降りをはかり地に落ちても、まだ息があり、立ちが上がる意識があれば、願いが叶うのだと噂されていました。 中には、かなり重いですが恋愛関係の願いであれば、傘を持ったまま清水の舞台から飛び降りても命があれば、思い人と結ばれるといった話まであったそうです。他にも、舞台から飛び降り、息絶えてしまっても、安らかに成仏し極楽浄土いわゆる天国へ逝けるといった噂もあったされます。 この話の所以は、この時代の男女恋愛沙汰によって「実際に飛び降りて願いが叶った者がいる」という噂が広がってしまい、ことわざのように使われるようになったのだと伝えられています。
2.「末法思想」まっぽうしそう説
清水の舞台は平安時代後期に造営されたといわれています。 清水寺は観音信仰が盛んな寺院で、その証拠に「西国三十三ヶ所」や「洛陽三十三箇所」などの観音信仰の中心的聖域的な場として、ひときわ厚い崇敬が寄せられ特に音羽の滝の源流が東洋インドの南の海のはるか彼方にあると信じられている「補陀落浄土」(ふだらくじょうど)へ繋がっているのだと本当に信じられていたようです。 「清水寺が補陀落(ふだらく)山の浄土そのもので、舞台から飛び降りて命果てれば極楽浄土へ行くことができる」といった噂が蔓延したようです。 こういった信仰が、清水の舞台から飛び降りる原因をつくったとも考えられます。 平安時代後期や鎌倉時代には長年戦乱が続き、庶民たちは明日をも知れぬほど貧困に窮しこのような思想に至ったとされます。
3.江戸時代流行した歌舞伎・狂言説
江戸時代となる1690年頃(元禄中期)、「清玄桜姫物」(せいげんさくらひめもの)という歌舞伎が一斉風靡し、世間の話題をさらったようです。 この歌舞伎は清水寺僧侶「清玄」が姫であった「桜姫」に恋心を抱き、無謀にもアタックを繰り返すのですが、桜姫は清玄から逃げに逃げるといった演目です。 この演目の中で桜姫役の役者が突然、傘を開き演じている舞台から本当に観客席に向かってダイブするといった派手な演出で話題になったようで、この桜姫の飛び降り演出が引き金となり、「舞台を飛び降りると願いが叶う」、「極楽浄土へ行ける」などと兼ね合わされ、多くの人が飛び降りるに至ったという説が伝わっています。
清水の舞台から実際に飛び降りた人はいるの?人数は?
清水の舞台から飛び降りた人は実は江戸時代だけでも234人もいたと言われています。真偽は?というと、清水寺境内”成就院”床下から1990年代に発見された「清水寺成就院日記」という書物から当時の記述が見つかっています。 江戸時代の1694年~ら1864年のおよそ150年分の記録が残され、就院は境内の事故を町奉行に報告する義務も負い、飛び降りた人の年齢、性別、住所、そしてその動機などを詳細に調査、記録していました。 それによると、死亡者は34人で生存率は約85%、17/20と意外と生存率が高く、その理由は当時は舞台の下に木々が生い茂り、地面も軟らかな土であったことが考えられます。 以後、1872年(明治5年)までの間、舞台から飛び降りをはかる人が絶えなかったため、京都府がこの年1872年に「飛び降り禁止令」を発令しました。 この事実についても当時の清水寺・舞台の写真が現存しており、舞台の端から端にはなんと、飛び降り防止のために「竹矢来」(たけやらい)が設置され飛び降りを防止していたことが明らかにされています。
清水寺の見どころは?
有名な二年坂・三年坂はやっぱり歩いておきたい
正式な名称漢字として伝えられているのは「二寧坂」と「三寧坂」。
清水寺を参拝するのなら絶対に外したくないスポットですが、とにかく「The 京都」という街並みが続いています。ともに清水寺の参拝道として作られたもので、参道のほとんどが石畳でゆるやかな坂、階段と家並みが続く美しい風景は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。重要伝統的建造物群保存地区とは、文化庁が定める文化財保護法にのっとり、街の景観そのものが文化財として保護対象になった建造物群のことで、三年坂から二年坂の参道には京都町家的な古民家が立ち並び、多くの民家が画像のような2階部分外壁に虫カゴの格子状の虫籠格子をつけた「虫籠窓(むしこまど)」が特徴になっています。
大正時代以降から昭和初期頃の数奇屋造り(茶室)風の2階建て町家が立ち並び、なんとも趣のある通りとなっています。 清水寺の参拝を終え、仁王門を直進した先には賑やかな店が軒を連ねる石畳の参道「清水坂(きよみずざか)」があり、その清水坂を降りた先に「七味家本舗」という店があります、この店の向かって右の脇道の先に見える坂道こそが「三年坂」になります。二年坂、三年坂あたりは祇園も近い事もあって舞妓さんが歩いていることもあるので出会えればよい記念になるかもしれませんね!
三年坂~転ぶと大変?~
三年坂には産寧坂という別名があり、読みかたは「さんねいざか」といいます。 平安時代、この付近の大谷本廟を中心に三年坂も含めた東山周辺一帯を「鳥辺野(とりべの)」と呼称しました。鳥辺野一帯には平安時代から多くの火葬場や墓のある墓所となっており、その鳥辺野へ行くための道であることから、「坂を登っている途中で転ぶと三年以内に死ぬ」いう俗信が生まれました。また三年以内で死ななかった場合にもすでに寿命が縮まっているともいわれます。 しかし、転んでしまったとしても死を回避する方法があるとされ、方法は「ひょうたん」を持つことなんです。 その理由は「ひょうたん」を携帯していることで、身体から飛び出そうとする魂をひょうたんが吸ってくれるんだそうです。 「ひょうたん」は三年坂の入り口付近に「京都・瓢箪屋(ひょうたんや)」という店があり、ここで買うことができます。近隣の店舗にも大小、形も様々な「ひょうたんグッズ」が販売されていますので注目してみてください。 また、和歌山市の三年坂通りや、同じく和歌山県の高野山奥の院にも覚鑁坂(かくはんざか)別名を三年坂と呼ぶ坂があり、同じように「三年以内に死ぬ」と言い伝えられています。 このような言い伝えは「石段や坂道には気を付けて」という警告が語り伝えられたものであるのでしょう。
二年坂~竹久夢二と笠井ヒコノの恋~
二年坂の中ほどには、画家や詩人として活動した竹久夢二が”最愛のひと”彦乃と暮らした「竹久夢二寓居跡」があります。 明治、大正、昭和の3代にわたり、波乱に満ちた人生を送った詩人、画家である竹久夢二は1914年(大正3年)秋頃に東京日本橋の宮内省御用達の紙問屋の一人娘で、もともと画家としての夢二のファンでもあった笠井彦乃と出会い、運命的といわれる恋に落ちてしまいます。 しかし、彦乃は父に溺愛される大事な一人娘でり紙問屋の後継者であったため父は娘彦乃の恋に猛反対します。そこで、二人は人目を忍び逢瀬を重ね互いに「山」、「川」と呼びあい、出会いから2年後の大正5年ついに京都に逃れることになります。短いあいだではありましたが二人が至福の日々を送ったのがこの「竹久夢二寓居跡」として語り継がれています。
一年坂はあるの?ないの?場所はどこ?
実は一年坂は存在するのです、そして正確には「一念坂」といいます。 ただ三年坂、二年坂と比べるとあまりにも知名度がないのは三年坂、二年坂はそれぞれ入口に階段があり石畳が続いているのに対して一念坂は、およそ50m程度で店舗も少なく並行して違う道もある事からあまり知ってる方が少ないのかもしれませんね。
清見寺に到着!観光ガイド完全版!!
仁王門(重要文化財)
清水寺に到着すると目に入るのは「仁王門」でしょう。仁王門の造りは檜皮葺き (ひわだぶき)の楼門(二階造りの門のこと)で、門の両脇には鎌倉時代に作られたとされる高さ3メートル65センチもある京都で最大といわれる仁王像が両端に安置されています。 仁王門は正面から眺めても、門をくぐってから眺めても、大変美しく画になる建造物ですので仁王門もじっくりと鑑賞していただきたいポイントです。 軒下にある額「清水寺」の文字は平安時代中期の貴族で書家の藤原行成(972年~1028年没)の筆によるものと伝えられています。 仁王門は1467年~1477年(応仁元年~文明9年)の11年にわたり継続した内乱「応仁の乱」で焼失、その後16世紀に再建、2003年(平成15年)に本格的な大規模解体・修理が行われたことにより、室町時代後期の再建当時の美しい姿や色が再現されました。
幅:約10m
高さ:約14m
奥行:約5m
門の手前両脇には珍しい狛犬が鎮座しています。通常、狛犬の1匹は口を開けている「阿形(あぎょう)」と、もう1匹は口を閉じた「吽形(うんぎょう)」という狛犬の組合わせになっているのが一般的ですが、仁王門前の狛犬は左右とも口を開いた阿形(あぎょう)で非常に珍しく、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)に作られたものになります。境内鎮守社のおみくじで有名な地主神社のためのものだと伝えられています。
【首振り地蔵さん】恋愛成就・金運・商売繁盛
善光寺堂に安置されている首を360度回すことが出来る変わったお地蔵さんです。縁結び は金運、商売繁盛にご利益があると言われています。 旅行での安全を祈願する場合は旅行先に首を向ける、恋愛成就を叶えたい場合は思い人がいる方角に首を回し、祈願することで成就すると言われています。各方角は以下の通りになります。 ・東:右に90度回す ・西:左に90度回す ・南:正面のまま ・北:首を180度回す
西門(重要文化財)
西門と書き”にしもん”ではなく「さいもん」と読みます。清水寺の西門は仁王門をくぐった右側にある門です。創建年は古く、平安時代末期だと伝えられますが、こちらも1467年~1477年(応仁元年~文明9年)の11年にわたり継続した内乱「応仁の乱」で焼失し、さらに1629年(寛永6年)の火災によって焼失していまったと伝えられています。こののち徳川家光の発願によって1631年(寛永8年)に再建された西門が現存する西門の形となっていますが、ごく最近1994年(平成6年)に修繕され、創建当時の彩色が蘇っています。西門の屋根は「桧皮葺(ひわだぶき)」が施され、正面には春日造りを彷彿とさせる緩やかなカーブを描いた屋根「向拝(こうはい)」があしらわれ、さらに背面には弓なりの形状の屋根「唐破風(からはふ)」が乗っています。 外見の建築様式からしても”神社境内にある門”を彷彿とさせてはいますが、世界遺産・清水寺と言う日本を代表する寺院を守るにふさわしい立派な門としてそびえ立っています。 目をひくのが極彩色の「蟇股(かえるまた)」や組物の極彩色です。これから清水寺へ参拝される方は、西門の木鼻をじっくりとご覧ください。
西門=勅使門=目隠し門?
この西門は古来、一般の参拝者が通行することは許されず、昔は天皇の使者としての勅使(ちょくし)のみ通行が許されていたことから「勅使門」ともよばれています。現在も通行はできません。
さらに西門は別名「目隠し門」とも呼ばれています。なんだかすごく意味のありそうな名前ですが、これは京都には天皇が住んでいた御所があることが関係しており、その御所を見下ろせるのは失礼だという事で、京都を一望でき絶景と呼ばれる清水の舞台からも御所をわざわざ見えなくするためにこの西門が建てられたといわれております。
三重塔(重要文化財)
「清水の舞台」や「音羽の滝」といった有名な見どころとともに、清水寺のシンボルのひとつとなっているのが、仁王門をくぐった先の右側、西門の奥にそびえ立つ三重塔です。
平安初期847年(承和14年)創建と伝えられ、当時の天皇である嵯峨天皇の皇太子が誕生したことにより、桓武天皇(737年- 806年没)の息子である葛井親王(かどいしんのう)が天皇の命令を受け創建されたと伝えられています。
創建に深く関わった征夷大将軍「坂上田村磨呂」の娘「春子」が葛井親王の母がであることからも葛井親王直々の発願による熱き思いが込められた建造物である事がうかがえます。
その後、何度も焼失再建を繰り返し、現在の三重塔は1632年(寛永9年)に再建されたものが今に伝えられています。その復元ぶりが実に見事であり、創建時の朱の彩色や桃山文化を象徴である極彩色文様が復元され、美しさに目を奪われます。
内部は非公開で見ることはできませんが大日如来像が東を向いて祀られ、四方の壁には真言八祖像、さらに天井や柱には密教仏画や飛天、龍などが、極彩色で描かれています。
清水寺の三重塔の高さは?日本一高いって本当!?
日本最大級の三重塔で高さは三間四方29.7mを誇ります。
この清水寺の三重塔は、三層ではあるものの御重(ごじゅう)の塔と称されています。この三重塔の各屋根四つ角には、鬼瓦という瓦がつけられているのですが、東南方向の鬼瓦一か所だけが龍神の鬼瓦となっています。このことが「清水寺の七不思議」の一つともされてきました、この龍神の鬼瓦は清水寺から見て西北の方角に位置する京都市と亀岡市をまたぐ標高890mの愛宕山(あたごやま)に火伏せ・防火の神が鎮座し、都を火災から守ってくれているのに反対側の東南方向は、手薄になっていました。そこで、水を司るとされる龍神を、東南の鬼瓦にお祀りすることで「火除けのお守り」にしたのではと伝えられています。
【梟の手水鉢】(ふくろうのちょうずばち)歯痛・頭痛解消
轟門のすぐ手前左手にある梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)では口をすすぐと歯の痛みや頭痛が解消されると言われています。手水鉢が作られた年は不明でありますが平安時代、梟は幸運をもたらす鳥と伝えられ神格化されていました。
しかし梟の手水鉢とはいうものの付近には龍しか見当たりません。名前だけなのかと思いきや実は下の台座に梟が隠れているようですのでこちらも必見です、台座にあしらわれた梟は、室町時代の現代で言うおとぎばなし「鴉鷺合戦物語(あろかっせんものがたり)」に描かれている梟を擬人化させたキャラクター「梟木工允谷朝臣法保(ふくろうもくのみつやあそんのりやす)」をモデルにしたのではないかと言われています。
轟門
【出生大黒天】立身出世・金運
拝観チケットを購入し轟橋・轟門を抜けると、正面に鎮座する赤い衣装をまとい金の打ち出の小づちを手にした大黒天像があります。立身出世・仕事運・金運上昇にご利益があると言われています。 七福神の一人として数えられる大黒天は日本古来の神話における”大国主命”(おおくにぬしのみこと)やインド神話でいう”破壊神シヴァ”と同一視されています。また大国主命は清水寺境内の地主神社の主祭神のひとつとしても祀られています。 出世大黒天近くの授与所では大黒天をモチーフにしたシール(450円)がお守りとしても販売されており、財布に忍ばせたり身につけることでご利益があるといわれています。
日本一引かれている!?地主神社の「縁結びおみくじ」
縁結びの神様とされおそらく日本では一番有名かもしれません。
正確には「じぬし」ではなく「じしゅじんじゃ」と呼ばれ、全国にも地主神社というのは多数存在しますが清水寺に隣接する地主神社は圧倒的に有名です。清水寺の鎮守社として建造された神社として伝えられていますが、明治の神仏分離で互いに独立したため現在は清水寺の境内地図にも表記はされていません。ただ地主神社へのアクセスは清水寺内の拝観料を払って参拝するエリアに位置しているため、拝観料を払わないと地主神社にも参拝できません。
清水の舞台~本堂を出ると、すぐ左側に階段が現れます、これが地主神社の唯一の入り口です。地主神社の恋占いのおみくじはよく当たると昔から評判で多くのカップルや恋をしている女性たちでにぎわっています。 実は、日本で一番引かれているおみくじとしても知られており、一般的なおみくじ筒で引くのでは混雑が避けられないためか、台に盛られたおみくじの中から一枚選ぶ珍しい形式になっています。 地主神社のおみくじの内訳は
・大吉・・・特に良い→かならず持ち帰る
・吉・・・良い→持ち帰る
・半吉・・・半分だけ良い→持ち帰っても良い
・小吉・・・少しだけ良い→持ち帰っても良い
・末吉・・・あとで良くなる→結んでも良い
・凶・・・良くない→結ぶ
・大凶・・・ぜんぜん良くない→かならず結ぶ
の全7種類となっており、 清水寺のおみくじとは違い、上記のように良いおみくじは持ち帰り、凶や大凶など悪いものを引いた場合には結んで帰るようにと明記されています。
価格:200円
さらに地主神社自体の開門時間は朝9時ですので清水寺の開門6時に合わせてもおみくじを引くことはできないので要注意です。
【ぬれて観音】煩悩・罪障退散
奥の院の裏側にある囲われた小池に祀られている高さ50cm程度の小さな観音様です、参拝中に見逃してしまいがちなほどの大きさですので注意して歩いてください。 観音像の肩から水をかけることで、本人に変わり水行の水垢離をしてくれるとされ心身を清め、煩悩や悪い行いを洗い流すご利益があると言われています。
【ふれ愛観音】健康祈願・厄除け
本堂、舞台を抜け順路に沿っていった奥の院に清水の舞台を眺めるように安置されています。ふれ愛観音様は全国各地にも安置されており、もともとは目の不自由な方に仏様をさわって感じてもらえる様にうまれた観音様であるとも言い伝えられており、実際に手で触れたり、撫でることで健康祈願や厄除けなどのご利益があるとされ多くの人が撫でる様子がみられます。
【子安塔】安産祈願
参拝ルートを少し左に外れると、子安塔が現れます。子安塔は重要文化財に登録されており、高さは約15mにもなります。現在の子安塔は1663年(寛永10年)に再建され、明治に今の場所に移されました。 また2013年に修復が行われ、今では建立当時のような鮮やかな朱色を取り戻しています。 子安観音(千手観音)を祀っていることから、安産のご利益があると言われています。聖武天皇・光明皇后も祈願し、無事に孝謙天皇を授かったと言われています。
【音羽の滝】(おとわのたき)
清水の舞台と並ぶ人気の観光スポットで清水寺創建時より一度も枯れることなく湧き続ける霊泉「音羽の滝」。清水の舞台からも音羽の滝を見おろすことができるので混み具合を確認できます。本堂の拝観を終えて参拝ルートを下ると音羽の滝があります。
比叡山から稲荷山までの東山三十六峰に連なる音羽山から湧き出る「延命水」また「黄金水」とも呼ばれる地下水が、三本の筧(かけい)を伝って千年以上も前からとぎれることもなく滝壺へと流れています。
三本の水には「学問上達の水」、「恋愛成就の水」、「延命長寿の水」とそれぞれのご利益があると伝えられています。
ご利益を授かろうと観光客でいつも長い列ができています。平均的に5分~10分程度の列です。
3つの滝はどれも同じご利益になった?清水寺音羽の滝の水の正しい飲み方とは
これまで言われてきた3本の水のそれぞれのご利益ですが、偏って並んでしまうなど混雑を避けるためか、現在は3本のすべての滝が同じご利益がありますと貼り紙がされています。
ですが、まだ外国語の説明の貼り紙では3本それぞれのご利益が案内されているので混んでない場合には
選んで並んでもいいかもしれません。
1.健康・長寿、2.恋愛、3.学業・出世のうち、自分がご利益を授かりたい願いはどれなのかを決め、
順路(反時計回り)通りに進むと
一番手前は「延命成就」
真ん中は「恋愛成就」
最後の滝が「学業成就」
階段をのぼり滝まで来ると不動明王がまつられていますのでお賽銭を入れてお祈りします。
さらに不動明王右側の滅菌装置の中からひしゃくを手に取り願い事にふさわしい音羽の滝の下に移動し、流れ落ちる水を柄杓に貯めます。
飲める分を柄杓に貯め口をすすぐのではなく、すべて飲み干します。飲むのはこの一杯だけです。願いが叶うのは3本のうち1つだけです。
欲張って2本、3本飲んでしまうと、その欲深さを仏様に見透かされ、ご利益がなくなってしまうのです。
1つだけしか飲んではいけないという事で、水を2杯、3杯と飲んでしまう人も見かけますが、これも×です!
やはり、これも欲深いということで、ご利益がうすくなると言われいています。
飲み終わったら次の人に順番をゆずり、柄杓を再びもとの滅菌機械へ戻します。
これが、ご利益を得られる飲み方だと言われています。
柄杓は一応、紫外線滅菌されていますし、ほとんどの方は直接口をつけずにひしゃくから一度手に注いでから口につけられています。それでも抵抗のあるかた向けに数年前は柄杓が販売されているということもありましたが現在は販売されていません。
じゃあ柄杓も使わずに手で汲もうと試みても流れ出る水には届かないと思いますのであしからず。
また音羽の滝壺部分に「丸い石」や「四角の石」を目にする事ができます、これは「滝行(修行)」をする時の台座で現在でも早朝などの参拝客が少ない時間を利用して実際に滝行をされる方もいることから、『水垢離(みずごり)される方は必ず滝行などの修行を行う時に着る白衣、行衣を着用してください』といった貼り紙まであるほどです。
清水寺のおみくじを引ける場所・時間・料金は?
清水寺のおみくじは
・本堂
・阿弥陀堂
・奥の院
・滝の堂
上記の四ケ所で販売されています。 引くことの出来る時間は朝8時頃から閉門時間までとなっています。
閉門時間は季節や曜日によって変わりますので下記の拝観時間の項目をご覧ください!
価格:200円
清水寺のおみくじは大吉が出ない?
清水寺のおみくじは ・大吉・吉・半吉・末吉・凶の5種類の内容となっています。
実は清水寺のおみくじは特に凶の割合が多いことでも知られていて、実際に全体の4割ほどが凶だそうです。ですので凶を引いたからといって必ず悪いことが起ってしまうと思うのではなく、注意書きをよく読んで、くいあらためるめることが重要かもしれません。
また、清水寺ではおみくじは木に結ばずに必ず持ち帰るよう注意書きがされています。
清水寺で購入できる”御朱印帳”は全6種類
清水寺で購入できる御朱印帳は次の6種類です。
・清水寺御朱印帳(紺色)
・清水寺御朱印帳(朱色)
・清水舞台御朱印帳
・牛若丸御朱仏足御朱印帳
・法輪御朱印帳
・洛陽三十三所観音霊場巡礼
値段は全て共通で1,200円になりますので、お気に入りのデザインのものを選びましょう! 大きさは横12cm、縦18cmの2つ折りの縦長タイプとなっています。
清水寺で頂ける御朱印は10種類以上!
清水寺の境内の各お堂、地主神社などではなんと10種類以上の多種多様な御朱印を授けて頂くことができると御朱印マニアの中でも大変人気のお寺です。
しかし、一年を通して、いつでもすべての御朱印が手に入るわけではありません。
季節・期間限定のものがあるので、もう手に入れることのできない貴重な御朱印もあるようです。
期間限定と聞くとコンプリートしてみたくなりますが注意点としては清水寺は轟門以降の拝観順路が指定されており、一方通行となっています。そのため、取りこぼしても逆走することはできないので、もう一周、一からスタートすることになってしまうので、事前に確認しておくのがいいでしょう。
通常順路通りに進めば①本堂→②阿弥陀堂→③奥の院→滝の堂(音羽の滝)の順序で頂く事になります。
清水寺で御朱印が購入できる場所
清水寺の境内で通年御朱印をいただける場所は以下の4カ所になります。
全て本堂拝観後に位置していますので拝観チケットの購入が必要です。
1.西国・洛陽霊場納経所
2.阿弥陀堂納経所
3.奥の院
4.音羽の滝 滝の堂
上記それぞれの納経所などでいただける御朱印はいずれも異なっており「御詠歌」「阿弥陀如来」「不動明王」などの種類があり価格は全て300円になっています。
2020年までは西国三十三所の草創1300年記念の特別印を押していただけるということです。
清水寺の季節限定・期間限定御朱印
清水寺では春・秋に特別公開される成就院「大悲閣」の御朱印や西国三十三所の草創1300年記念事業ではじめられた西国観音曼荼羅の御朱印など期間限定のものもあります。 成就院は秋は夜間公開もされているので、成就院の見所の一つ「月の庭」と合わせてチェックするのをオススメします。赤く色づいた紅葉に庭園の澄んだ池に月が映る景色は月の庭と呼ばれるにふさわしいものになっています。
成就院御朱印「大悲閣」
・清水寺内 成就院 西国観音曼荼羅御朱印
・価格:300円(額縁と台紙セットは3000円)
清水寺の拝観時間、拝観料は?
通常の拝観時間・開門時間
一年を通して開門の時間は午前6:00で、閉門は早くても18時となっています。季節や、夜間特別拝観等の時期は閉門時間が以下のようになります。
2019年は次の拝観時間で拝観が可能です。
期間 | 通常拝観 | 夜間特別拝観 | ||
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開門 | 閉門 | 開始 | 終了 | |
12月31日〜1月1日 | 前日22:00 | 18:00 | ||
1月2日~3月7日 | 6:00 | 18:00 | ||
3月8日~3月17日 春の夜間特別拝観 | 6:00 | 18:00 | 21:00 | |
3月18日~3月28日 | 6:00 | 18:00 | ||
3月29日~4月7日 春の夜間特別拝観 | 6:00 | 18:00 | 21:00 | |
4月8日~6月30日の平日 | 6:00 | 18:00 | ||
4月8日~6月30日の土・日・祝日 | 6:00 | 18:30 | ||
7月1日~8月13日 | 6:00 | 18:30 | ||
8月14日~8月16日 千日詣り/夏の夜間特別拝観 | 6:00 | 18:30 | 21:00 | |
8月17日~8月31日 | 6:00 | 18:30 | ||
9月1日~11月15日 | 6:00 | 18:00 | ||
11月16日~12月1日 秋の夜間特別拝観 | 6:00 | 17:30 | 21:00 | |
12月2日~12月31日 | 6:00 | 18:00 |
清水寺には定休日はありませんので、予定を組みやすいですね!
実は清水寺の拝観料は轟門以降~大黒天~本堂~清水の舞台~地主神社~ぬれて観音~奥之院~ふれあい観音~子安塔~音羽の滝のルートもしっかりと参拝したいという方に必要なチケットになり、仁王門、西門、三重塔のみの観光であれば必要ありません。
また、清水寺は勾配は続きますが車いすの方でもすべてのルートが間近で拝観できるようにバリアフリー化がされています、自家用車でご来場の場合、事前に清水寺に連絡しておけば参道のちゃわん坂と呼ばれる道路から仁王門前の道路まで進入させてくれると思います。その場合でも駐車スペースはないので近辺に止めに行く必要があると思います。
拝観料金
大人 400円
高校生・大学生 400円
小学生・中学生 200円
団体割引なし
障害者手帳、療育手帳持参で無料
しっかり観光所要時間 約60分
清水寺へのアクセスは、乗り物は何が便利?
京都駅から清水寺までは歩いて行ける!?所要時間は?
京都駅から見た清水寺の方角は東北東に位置しています。
徒歩ルートの距離にして約3.5kmで時間にすると50分程度ではないでしょうか。
京都駅北口(塩小路通り/京都タワー側)に出て烏丸通を北上すれば左手(西側)に東本願寺に寄り道ができます。
もう一つは北口を出て七条通りを東に歩くと三十三間堂や、国立美術館、智積院、妙法院などを散策し楽しみながら清水寺に辿り着くことができるでしょう。
清水寺まで電車を利用する
清水寺の電車最寄駅は京阪電車の「清水五条」になります。
清水五条の4番出口から清水寺のふもとまで徒歩20分、ふもとから坂道をのぼり清水寺まで15分といったところです。
①JR京都駅烏丸口(北口)から 徒歩+京阪電車+徒歩
→1Kmを徒歩で約15分→
京阪電車「七条駅」で 京阪本線・出町柳行きに乗車し
→1駅 約1分→京阪電車「清水五条」 4番出口
東へ徒歩で約20分~30分→清水寺
②JR京都駅からJRを利用 JR+徒歩
②「JR奈良線 奈良行き 普通/快速(約2分)」
→「JR /京阪電車東福寺駅 京阪本線・出町柳行き(約1分)」→「京阪電車清水五条駅 4番出口から徒歩(約20分)」
京都駅からバスを利用する
①「京都駅前バスターミナル(Dのりば)市バス(緑の車体)[86/100/110/206](約15分)」→
「市バス五条坂から徒歩(約10分)」
●京阪電車祇園四条駅スタートで街中散策しながら徒歩の場合
①7番出口→お八坂神社 → 円山公園 → ねねの道 → 高台寺 → 二寧坂・三寧坂(約30分・見学時間除く) ②6番出口→花見小路 → 建仁寺 → 八坂の塔 → 三寧坂(約30分・見学時間除く)
●地下鉄東西線「東山駅」スタートで街中散策しながら徒歩の場合
①2番出口→青蓮院 → 知恩院 → 円山公園 → ねねの道 → 二寧坂・三寧坂(約30分・見学時間除く)
②2番出口→古川町商店街 → 白川沿い → 知恩院 → 円山公園 → ねねの道 → 高台寺 → 二寧坂・三寧坂(約30分・見学時間除く)
●繁華街からバスをご利用の場合
①「河原町三条停留所 市バス [86]京阪バス [83A/85/87/88/88C] [70/84/84B/84C/86/86A/86B/87B/88B/92/93/95](約13分)」→「市バス/京阪バス五条坂から徒歩(約10分)」
②「四条河原町停留所 市バス [86/207]京阪バス [83A/85/87/88/88C]※2 [70/84/84B/84C/86/86A/86B/87B/88B/92/93/95](約9分)」→「市バス/京阪バス五条坂から徒歩(約10分)」
車を利用して清水寺まで行く場合
清水寺の周辺には駐車場がたくさん点在していますが、清水寺の駐車場と言えば
”京都市清水坂観光駐車場”が便利でオススメできるでしょう。
理由は駐車料金の安さと近辺では一番の収容台数を誇っているからです。
しかし、実際にはバスやタクシーの優先駐車場となっているため、まれに繁忙期や混雑時には自家用車の利用は断られる場合がありますのでご注意下さい。
TEL 075-561-4601
住所 〒605-0862 京都市東山区清水四丁目161-5
営業時間 24時間営業
駐車料金 普通車1,000円・タクシー800円・自動二輪400円・自転車200円(一日1回につき)
収容台数 バス55台・普通車59台
取扱車両 普通車・自動二輪・自転車
清水寺近辺のタイムス駐車場
平日空き多し!意外と停められる、清水寺に凄く近い穴場駐車場
平日空き多し!高台寺や八坂神社にも近い
周辺駐車場は大変混みやすくなっておりますので、公共交通機関ご利用をオススメしております。
清水寺拝観にはこのホテルがおすすめ!
土日ともなれば混雑する清水寺ですが実は早朝時間帯の拝観は人が少なくて混雑もなく、夏場なら涼しい時間帯という事もあってとってもおすすめできるんです!
朝早く清水寺を拝観したいのであれば、清水寺周辺のホテルに泊まることで、清水寺以外の京都観光もさらに充実したものにできますよね。
ちなみに、私が実際に行って良かった早朝拝観の時間帯は朝7時半から付近を散策、8時ごろ(開門は6時)に清水寺に入りゆったり拝観します。
清水寺の近辺のお店は朝9時から開店し、三年坂や二年坂のお店は10時から開店するので、清水寺を拝観した後にゆっくりとお土産や食べ歩きも楽しむことができるので早朝拝観がおすすめです。
それでは、早朝拝観に便利な清水寺にほど近い人気のホテルや旅館についてご紹介します。
女性にも大人気!ホテル ザ セレスティン京都祇園
HOTEL THE CELESTINE KYOTO GION
2017年9月にオープンした和モダンで洗練されたホテル。
清水寺までのふもとまで10分清水寺本堂までも徒歩20分程度です。
祇園・木屋町・四条河原町などの繁華街やその他の観光スポット、八坂神社・建仁寺・花見小路・高台寺は10分程度での徒歩圏内ということもあり人気急上昇のホテルです。
落ち着きのある和とスタイリッシュな洋のインテリアを調和させた客室は、シンプルモダンで明るい空間演出がされていて、2人用ベッド1台の客室とベッド2台の客室が提供されています。
全客室に無料Wi-Fi、フラットテレビ、携帯電話充電器、Nespressoコーヒーマシン、ミニバー(有料)、バス、トイレを完備。ゆったりとした間取りの客室もあり、アップグレードされた上品な客室には、リビングエリアが加わります。全客室禁煙の為お部屋の臭いも気になりません!
館内には宿泊者専用でご利用いただける大浴場があり、旅の疲れを癒していただけます。
女性用大浴場にはゆったり過ごせるパウダールームを完備。
京格子で仕切られたテーブル席や個室も備えるレストランで、ブランド牛などの地元食材を使用した京会席と、和朝食バイキングを提供する食事付きプランもあります。 その他、バー「BAR 近江栄」・ゲストラウンジもあります。
予約制ですが有料の駐車場も完備されていることや、京都駅間の無料送迎もあります。
【施設概要】
住所 〒605-0933 京都市東山区八坂通東大路西入る小松町572
TEL 075-532-3111
FAX 075-532-3100
チェックイン 15:00
チェックアウト 12:00
館内施設
【B1F】ロビー、フロント、レストラン「八坂圓堂 THE CELESTINE KYOTO GION」、大浴場、喫煙所
【1F】ゲスト用ラウンジ、バー「BAR 近江栄」、喫煙所
【2F】製氷機
【駐車場】宿泊者専用/有料駐車場(1泊2,000円)/予約制/20台/平面式
【客室数】157室
使用可能カード VISA / JCB /アメックス / ダイナース / MUFG / UC / 銀聯
自動車・電車でのホテルまでのアクセス
名神高速道路・京都東ICから車で約7km、15分~25分
名神高速道路・京都東ICから車で約7.5km、20分~30分
阪神高速8号京都線・鴨川東ICから車で3.5km10分~15分
京阪電気鉄道・祇園四条駅また清水五条駅から徒歩10分
清水小路で静かな朝を迎えたいなら「坂のホテル京都」
清水寺にほど近く清水寺周辺の5つの坂に囲まれた「坂のホテル京都」は、清水寺まで歩いて5分程度と清水寺参拝には立地条件が最高です。
繁華街も徒歩圏内にあるにも関わらずほんの少し高台にあるシチュエーションが静かな環境を作り出しています。
決して大きくはないホテルですが、地元民から言わせるとより普段の居住に近い立地条件がそろっていて澄んだ京都の朝を迎えることができるでしょう。
実はCMで有名なあの「ホテル ニューアワジ」グループのホテルの一つであり、スタッフの対応や料理などのサービスは流石と言わせるところが満載です。
JR京都駅からはタクシーで所要時間約12分と近く、貸切風呂から見える八坂の塔で有名な法観寺、祇園エリアのシンボル八坂神社、千一体の立ち観音で有名な三十三間堂、京都国立博物館なども徒歩圏内で観光にも便利です。
東山エリアのシンボル法観寺「八坂の塔」を浴室内から望める贅沢な貸切風呂からは京都の四季を感じることができます。
朝の散歩・散策をするにもお勧めできる散策ルートが多くゆっくりとした心地のいい朝を迎えることができるでしょう。寝心地にとことんこだわったベッドに包まれ心地よく休んだ翌朝は、淹れたてのおいしい珈琲でゆっくりと身体を目覚めさせ、早朝の東山散策は昼間見ることができない京都の町の素顔に出会えるでしょう。朝の散歩後のお風呂や朝食もまた、京の都での清々しい一日の始まりを忘れ得ぬものにしてくれることでしょう。
随所に感じる京都の佇まいの中で、まだ未体験の京の和の風情を感じてください。
【施設概要】
住所 〒605-0862 京都市東山区清水4-200
TEL 075-561-0061
チェックイン 15:00
チェックアウト 11:00
館内施設
【1F屋外】
・離れダイニング「さとざくら」
【1F】 ・客室5室(露天風呂付ツイン5室)
・フロント・ウェルカムラウンジ
・ダイニング 清水茶寮
夕食 17:30~21:30(L.O.)
朝食 7:00~10:00
・ロビーバー 21:30~23:30
・セレクトショップ 8:00~22:00
・コインロッカー&ランドリー
【2F】:・客室14室(和室2室/ツイン10室/トリプル1室(収納ハイダーベッド併用)/ダブル1室)
・ファンクションルーム 東山(to-zan)
【3F】・客室19室(ツイン17室/トリプル1室/ダブル1室)
・ゲストラウンジ「音羽リビング」7:00~24:00
ライブラリー・マッサージチェア・ソフトドリンク&スナックブース
※すべて利用料無料
※アペリティフタイム(16:00~18:00)にはスパークリングワイン等のアルコールも無料サービス・貸切風呂
【貸切風呂】蕩 八坂(tau-yasaka)(八坂の塔を遠望)
利用時間1回50分
15:00~24:00(23:10最終スタート)
7:00~10:10(9:20最終スタート)
料金 4,320円税込
【客室数】38室(ツイン27室/露天風呂付ツイン5室/和室2室/ダブル2室/トリプル2室)
最大収容人数:104名
【駐車場】宿泊者専用18台/無料/要予約・台数に限りがございますので事前にご予約ください。
全館Wi-Fi利用可能(無料)
使用可能カード VISA / JCB / American Express / Diners Club / 三菱UFJニコス(MUFG) / DC / NICOS / UFJ / UC / 銀聯
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