神社とお寺は何が違う?神様仏様?似ている部分があるのは何故?

日本人にとって、神社とお寺の両方に訪れ、神様にも仏様にもお参りするというのは、決して珍しいことではありません。お宮参りや七五三では神社を訪れ、お葬式や法事はお寺で行うなど、普段から足を運ぶ機会の多い場所。

とはいえ、神社とお寺の違いをご存知ですか?なんとなく違うことは知っていても、明確な違いや、似ている部分がある理由まで知っている方は意外と少ないのです。

そこで今回は、神社とお寺の違いについて、それぞれの成り立ちや共通点なども含め、詳しく見ていきましょう。神社とお寺の理解を深めることで、今後の参拝がより興味深いものになるはずです。

神社とお寺は何が違うの?

神社とお寺の大きな違いは、神社は「神道」という宗教の施設で、お寺は「仏教」の施設です。見た目でもだいたいは区別ができ、鳥居がある・ない、お墓や仏像がある・ない、などの違いがある一方、共通点もたくさんあります。

まずは、見た目の違いなど、わかりやすい所から見ていきましょう。

鳥居と山門

神社の入り口には鳥居があります。その多くが朱色の、独特な形をした門のようなもので、お寺にはありません。

お寺の入り口のことは山門(さんもん)といいます。

お寺はもともと、中国の寺院が山に建てられたことから由来しており、その寺院が所在する山の名称を付ける(山号)という習わしがあります。そのため、山号がお寺についていることから、お寺の門が山門と呼ばれるようになったといわれています。

ただし、どちらも神様と仏様の住む世界と、私たちの世界を隔てる結界のような役割があり、そこから先は神聖な領域であるということを示しています。

狛犬と仁王像

神社では、拝殿前や楼門のところに狛犬がいますが、お寺では山門に仁王像がいることが多く、それぞれ神社とお寺を守護する門番の役割をしています。

ちなみに、狛犬も仁王像も左右に一対で置かれており、阿吽(あうん)の口をしているのを多く見かけますが、阿吽とは、すべての物事の始まりの「あ」と、すべての物事の終わりをあらわす「うん」であり、宇宙全体をあらわす聖なる音のことをいいます。

お墓の有無

次に、お寺にはお墓がありますが、神道では、死を穢れとして遠ざけるため神社にはありません。

神社では神前式、お寺では仏前式といって、どちらも結婚式を挙げることはできますが、お葬式を行うのはお寺だけで、神社で行うことはありません。

名前の違い

神社とお寺は、その建物の名前で見分けることができます。

神社の場合、厳島神社、出雲大社のように「社」で終わるか、伊勢神宮、太宰府天満宮、のように、「宮」で終わります。

一方、お寺の場合は、東大寺、比叡山延暦寺、本願寺など、最後に「寺」とつくことが多く、まれに浄土宗の知恩院や、10円玉の平等院のように、「院」で終わるお寺もあります。

御祭神と御本尊

神社には、天照大御神(アマテラスオオミカミ)や、大国主命(オオクニヌシノミコト)などをはじめとした、八百万(やおよろず)の神といわれる日本の神様が祀られており、その神社に祀られている神様のことを御祭神(ごさいじん)といいます。

そして、神道で神の御霊(みたま)が宿るとされる物体で、礼拝の対象となるものを御神体といいます。依り代(よりしろ)ともいい、偶像崇拝と似ていますが、それ自体が神様なのではなく、あくまでも神様が宿る存在という考え方です。

神社によってその形は異なり、自然の山や森、岩、滝など自然そのものである場合や、鏡・玉・剣の三種の神器、とさまざまですが、本殿に安置された御神体を直接拝むことは基本的にできず、一般の目に触れないようにしています。

お寺では、お釈迦様や阿弥陀様、観音様など、インドからやって来た仏様を祀っています。寺院の本堂に安置され、信仰の対象としてもっとも尊重されている中心的な仏像や絵のことを御本尊といいます。

御本尊は、同じ仏教でも天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗・曹洞宗・臨済宗・日蓮宗といった宗派によって異なります。御神体と違い、基本的にはいつでも拝観することができますが、場合によっては本当の御本尊はしまわれており、特別の時期にしか一般公開されないケースもあります。

参拝の違い

神社やお寺にお参りをするとき、その作法にも違いがあります。神社は「二礼二拍手一礼」とお辞儀と柏手(かしわで)を打つことが特徴ですが、お寺では静かに胸の前で手を合わせ、合掌したまま礼をします。お寺では柏手をしないのが大きな違いです。

他には、メインとなる本殿や本堂からお参りすること、お参りする前に心身を清めるなど、一連の流れは似ており、手水舎での作法も同じですが、お寺では鐘をついたり、線香やロウソクをお供えするなど、音や煙、火の力も使って心身を清めることがあるのが、神社と異なる点だといえます。

聖職者

神社で働く人のことを神職(神主)といいます。神職の仕事内容は、神社に仕えて祭事や社務、祈祷などを行い、人々と神をつなぐことです。また、神主の補助をし、神事の際に神楽や舞を奉仕する巫女も存在します。

お寺では、僧侶(お坊さん)、尼さん、住職がいて、お経を唱えることや説教を基本的な仕事としています。他にも、葬儀の場でお経をあげたり、寺院や墓地の管理も行っています。

神道と仏教について

イレギュラーな場合もありますが、基本的には以上のような違いがあり、見た目で判断できることがほとんどです。

では、神社とお寺の違いをさらに深く知るために、神道と仏教というのはどういう宗教なのか、その違いについて見ていきましょう。

神道とは

神道とは、日本土着の宗教で、長い歴史の中で仏教や儒教などのさまざまな信仰・宗教を取り入れて形を変えていき、現在に至ります。

もともとは、岩や海、大木、大岩など、さまざまなところに宿る名前や姿などのはっきりしない神様が無数にいて、その神様に五穀豊穣など、人の力の及ばないことを祈っていた自然崇拝が起源だとされています。

日本人が生活していく中で、独自の慣習から自然に生じた民俗信仰であるため、開祖がいるわけではなく、教義や経典もないため、厳密にいうと宗教とはいえません。

祈りを捧げる対象は、八百万(やおよろず)の神ともいわれる、自然の中にある日本古来の神様です。八百万というのは「たくさん」という意味です。

神道の神々は、海の神・山の神・風の神といった自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々、などなど、その数の多さから八百万の神々といわれます。日本神話に登場する皇室のご先祖様にあたる神様もおり、歴史上の偉大な人が亡くなった後に神様として祀られるパターンもあります。

神社は何をするところ?

神社は、日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設で、祭祀(さいし)とは、感謝や祈り、慰霊・鎮魂の目的のために神々や祖先をまつることをいいます。

五穀豊穣を祈る新嘗祭(にいなめさい)や神嘗祭(かんなめさい)、祇園祭などに代表される各地のお祭り、神葬祭(しんそうさい:神式のお葬式)などがあり、お神輿を担ぐお祭りも、神社ならではの行事です。「祭り」の語源は、神に食べ物を捧げ「奉る(たてまつる)」にあります。

もともと常設された建物ではなく、磐座(いはくら、いわくら)や、神様の住む場所とされる禁足地(入っていけない場所)などで、神事を行う際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇が起源だとされており、沖縄県にある御嶽(ウタキ)のようなものだったと考えられています。

やがて、そこに神の住むところとして「やしろ」「みや」と呼ばれる、神社の原形ともいわれる、常設の社殿が造られるようになったのです。

神社の中でも、特に規模の大きいものは「神宮」や「大社」といわれ、もっとも格の高い神社は「伊勢神宮」で、天照大神(アマテラスオオミカミ)という一番偉い神様が祀られています。

仏教とは

仏教は、インドのお釈迦さま(ブッダ)を開祖とする、世界三大宗教のひとつです。釈迦が菩提樹の下で悟りを開き、80歳で入滅するまでに説いた教説が基本となっています。

仏教では、

・輪廻転生(りんねてんせい):生きるのはとても苦しいことだが、それでも人は何度も生まれ変わりを繰り返している
・因果応報(いんがおうほう):やったことは自分に返ってくる。生きている間に返ってこなかった分は持ち越して、生まれ変わった後に報いを受ける

これら二つの考えが基軸になっており、正しい行い(徳)を積み、厳しい修行の末、悟りの境地に到達し、この世の迷いや苦しみから抜け出す(解脱:げだつ)ことが目的です。

仏教は世界に広がっていく中でいろんな宗派が生まれましたが、中国や朝鮮半島を経て日本に伝来したのは大乗仏教というものです。

原始仏教が出家を前提とした、個人の悟りを追及する仏教であるのに対し、大乗仏教はすべての人が救われるとする、菩薩の利他主義をとったもので、誰でも分け隔てなく救われるという点が、日本でも受け入れられた要因とされています。

そしてさらに、日本独自の思想が加わりながら多くの宗派が生まれ、インドとも中国とも異なる独自の仏教となり、現在日本で信仰されている主な宗派は13あります。

信仰の対象は仏様で、さまざまな仏様がいますが、悟りの度合いに格付けられており、一番格が高いのは「如来(にょらい)」という真理に目覚め、悟りを開いた仏様のグループです。

ちなみに、人が亡くなってから49日目に法事をしますが、それは釈迦が悟りを開くまでの日数49日間に由来しています。人は死んでから49日後に悟って仏様になり、あの世に旅立つという理由です。

お寺は何をするところ?

お寺は、仏様を祀り、仏像をすえ、僧侶が住み、仏教の教えを学ぶ場所です。最初はお坊さんが仏教修行を行う場所だったのですが、仏陀が徐々に神格化されていくとともに、仏塔や仏像、それを収める仏殿などが誕生し、現在のような姿になったといわれています。

お釈迦さまは定住されず、色々なところに教えを説きに行かれるので、仏教を聞きたい人は、自宅や、今でいう公民館のような、村の休憩所にお釈迦さまを招待して、教えを聞いていました。

それがだんだん仏教を聞く人が増えてくると、仏教を聞くための建物を建てるようになります。これをインドの言葉で「ビハーラ」、中国の言葉で「精舎」といい、日本の言葉で「寺院」といいます。これがお寺のはじまりです。

このように、お寺は本来、仏教を説かれる仏様を招待して、仏教を教えを聞くために建てられた会場だったのです。

もともとは神社とお寺は一緒だった?

神道と仏教の教えはまったく違うので、見た目が違うのはもちろん、参拝のルールや、作法などが違うのは当然ですが、共通点もたくさんあり、似たような施設や像がどちらにもあったり、まれに神社とお寺の区別がわからないこともあります。

神道と仏教について簡単に説明しましたが、すでに互いに大きく影響をしあっていて、これらを分けて話をすることは大変難しいのです。

また、特別に信仰している宗教がない限り、初詣などでは神社かお寺かを気にすることなく、どちらにも抵抗なくお参りしに行くのではないでしょうか。

違う宗教にも関わらず似ている部分があり、どちらにも普段から関わりがあるのはどうしてなのでしょう。その理由は、神様と仏様は同一視され、両者を同じところに祀り、信仰するようになった、神仏習合という歴史の流れがあるためだといわれています。

神仏習合とは

神仏習合とは「日本古来の神様を祀る神道」と、「インド発祥で中国や朝鮮半島を経由してやってきた仏教」が互いに影響しあって融合し、二つを調和させる考え方のことです。

現在では、神道の宗教施設は神社、仏教の宗教施設は寺院(お寺)と区別されていますが、江戸時代までははっきりと区別されていなかったのです。

神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいい、この概念は、1000年以上もかけて構築され、さまざまな考え方が複雑に絡み合っています。

もともと日本では、昔から自然=神様と考えられており、自然崇拝が日本古来の信仰の形です。もともと誰かが開いた宗教ではなく、日本人の生活の中で自然に生まれた信仰なのです。対して仏教は、インドのお釈迦さまによって説かれたもので、約1500年前に日本に伝わって来た宗教です。

そして、仏教が日本に普及するにつれて政治と密接に絡み合い、日本古来の信仰の形と結びついていったのです。

神様と仏様の違いとは?

仏教が日本に伝わった当初、仏様は外国の神様と捉えられており、蕃神(ばんしん:異国の神のこと)と呼ばれていました。たくさんいる神々の1人だと思われていたのです。ところが、仏教が日本に普及し始めると、実は仏様は、神様とは違うということがわかってきます。

・神様:努力や修行ではなりえない、人智を超えた存在。日本では「八百万(やおよろず)の神」というように、太陽、山、海、月など、万物に神が宿ると考えられており、唯一天皇家は、太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫といわれています。

・仏様:厳しい修行や勉強の末に悟りを開き、苦しみだらけの現世を離れ、苦しみから解放された浄土の世界へ行くことができた人のこと。この世で最初に真理を悟ったのが仏陀ですが、悟りを開く前は「ゴータマ・シッダールタ」という名のインドの王子でした。

一番の大きな違いは、「人は神にはなれないが、仏にはなれる」ということです。

神様は仏教の教えによって救われる?

日本の神様は自然の象徴なので、特に神社のようなものはなかったのですが、仏教の影響を受けて神社や神像が作られはじめました。また、古事記にも記されていますが、日本の神様の多くは人間と同じような弱い一面があったため、仏教の教えによって神様をお救いするという動きが生まれたのです。

そのため、神社の境内には日本の神様をお救いするためのお寺、神宮寺(じんぐうじ)が建てられるようになり、神社のご本殿に神像や仏像を置き、神職と僧侶が祭祀(さいし)を行うように。これが神仏習合の初期の流れになります。

世界遺産の厳島神社では、今でも神宮寺であった大願寺が残っています。また、境内の中にお寺がある神社で有名なのは、世界遺産の日光東照宮で、日光東照宮という神社の中には、本地堂(薬師堂)という建物があり、薬師如来という仏像をお祀りしています。

神様は仏様を守る守護神に?

仏教が普及していくと、次第に政治とも密接な関わりを持つようになりました。有名なのが奈良の大仏を建立した聖武天皇です。聖武天皇は仏教の教えを深く信仰し、政治に仏教の教えを多く取り入れました。

すると、お寺の境内やその近くで、仏様を守る神様が祀られるようになりました。仏教を信じれば、守護神が国を守ってくれるという教えから、神様は仏様を守る守護神だと考えられるようになったのです。東大寺の手向山八幡宮、延暦寺の日吉大社、金剛峯寺の丹生都比売神社などが知られています。

これが神仏習合の中期の流れになります。

当時の日本は天皇主権の時代で、神の子孫である天皇が国で一番偉い権力者です。ですが、天皇が仏教に深く帰依(きえ:よりすがること)するようになると、神様と仏様の関係も微妙になっていきました。

本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)について

そして、神仏習合の流れの中で最終段階にあたるのが本地垂迹説です。

神の子孫である天皇が仏教を深く信仰することで、仏様の方が神様より偉いのではないかという考えが出てもおかしくはありません。ですが、一番の権力者である天皇の上に位置する神様より、仏様の方が偉いという考え方はあってはならないものだったのです。

かといって神様の方が偉く、仏様の方が下だという考えもまた、タブーとされていました。歴代の多くの天皇は、仏教を深く信仰し続けてきたため、神様より仏様の方が下であると、天皇が仏教を信仰する必要がなくなってしまうからです。

そんなどっちつかずの状態がしばらく続きましたが、平安時代になると、本地垂迹説という考えが生まれます。本地は「本物」、垂迹とは「仮の姿」を意味し、「神様と仏様は根本的に同じであり、仏様は人々を救うために、さまざまな神様の姿を借りてあらわれている」、という考え方です。

これによって、神様と仏様は同じものとして信仰されるようになりました。これら一連の流れを総称して神仏習合といいます。

ちなみに、鎌倉時代に入ると反本地垂迹説(はんほんじすいじゃくせつ)、神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ)という考え方までもが登場します。これは「神は仏の化身である」の反対で「仏は神の化身である」という考え方です。

このように、時代の流れともに人々の考え方も変わり、政治的な背景なども絡み合い、複雑で多様な神と仏の関係ができていったのです。日本の神々と、外国から伝来した仏教を融合させた、日本独自の宗教信仰の形といえます。

神社とお寺が区別されるようになったのはいつ?

上記のように、神道と仏教は互いに影響し合い、さまざまな制度の変化を微妙に繰り返していましたが、長い間続いていた神仏習合の時代は、明治時代に終焉を迎えます。

神仏分離令とは

明治に入り、開国が進むにつれ、政府は西欧列強に早く追いつくためにも、中央集権的で近代的な国家を作るため、さまざまな政策を行います。

その政策の一つとして、国民を精神的に統治していくためにも宗教的な支えが必要であるとし、外国の宗教である仏教の影響を受けていない、日本固有の古代の神道(復古神道といいます)を国教にしようと考えます。

また、神道を中心とすることで、徳川時代の否定をすることや、寺請制度(民衆は特定の寺院に所属してお布施を払う代わりに、葬儀や法要を行ってもらう制度)によって、民衆を実質的に管理していた寺院の力を弱め、財産や領地などを剥奪するなど、あらゆる面で仏教側が持っていた力を削ごうとする狙いもあったのです。

そして1868年、明治政府が出した神仏分離令と呼ばれる一連の法律により、神仏習合の習慣は禁止され、神社とお寺は完全に分かれることになりました。

神社の中から仏教的要素を排除しようというもので、特に厳しいものは神仏判然令といい、仏像をご神体としたり、神社に仏具をおくことを禁止したのです。

ちなみに、明治以前にも、神社や宮中においては、神仏分離の政策が行われた例はありますが、一般人の生活にまでは影響を与えることはなく、宮中では仏式の葬式が行われていたなど、完全な分離はされていませんでした。

廃仏毀釈運動(はいぶつきしゃくうんどう)

神仏分離令は、あくまでも神道と仏教のを分離することで仏教側の力をそぎ、神道に力を集めることが目的でしたが、これをきっかけに、民衆や神官などが仏教寺院を襲い、仏教にまつわるさまざまなものを破壊する、廃仏毀釈運動(はいぶつきしゃくうんどう)が全国で広まります。

原因はさまざまで、地域によっても異なりますが、困窮している中、お布施などでさらに圧迫をしてきていたお寺への不満が募った民衆や、国家神道の思想を強く持った人達、仏教側への不満を持っていた神官など、それぞれの仏教側に対する負の感情がそうさせたとされます。

寺院は半数が日本から消えたといわれ、仏像、建造物、経典などのあらゆるものが破壊され、日本の寺社にあった莫大な量の貴重な文化財が、ほんの数年で失われてしまったのです。

そのため、神仏分離は進んだものの、明治政府の本来の目的である、神道を国民全体に布教し、神道を中心にした国づくりは失敗に終わったのです。

まとめ

以上、神社とお寺の違いについてご紹介しましたが、どちらにもなじみがあり、深い関わりがあるのをおわかりいただけたでしょうか。

複雑な歴史が絡み合い、ときには神様が仏様の教えに救われたり、神様が仏様の守護神になったり、ついには神様も仏様も同一視されたことから、神社の中にお寺が建てられたり、お寺で神道の神様を祀ったりしていたのです。

そのため、神社とお寺が似ているのも当然なのです。現在でも、お寺に鳥居があったり、神社にお寺があるなど、神仏習合の名残がある場所は各地で見られます。

今後参拝する機会がある方は、ぜひ確認してみましょう。より神社やお寺を身近に感じることができるかもしれません。

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